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『哲学の道』西田幾多郎

H25年1月20日 NHK Eテレ1 22時〜23時30分『日本人は何を考えて来たのか』で、戦争の時代、京都大学名誉教授 西田幾多郎さんはじめ、京都学派はどのように考えたのかを、生物学者、福岡伸一さんが、最新資料を基に解き明かされます。左阿彌が対談場所として出てきます。
日本を代表する哲学者、西田幾多郎さんが散策された琵琶湖疏水沿いの道は現在『哲学の道』と呼ばれています。
西田幾多郎さんが軍部の方と、何度か会合を開き、愛してくださった左阿彌も日本の歴史、京の歴史と共に歩んできたことがわかります。

2013/01/20 18:36 】【 歴史

新島八重を歩く

新島八重

2013年NHK大河ドラマ『八重の桜』
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
同志社大学を創立された、新島襄さんの妻、八重さんの人生を綴った歴史書
『新島八重を歩く』星亮一戊辰戦争研究会編 潮書房光人社発行に
料亭左阿彌が登場いたします。
P173 《料亭左阿彌 八坂神社を東へ抜けると、円山公園に出る。円山音楽堂の南、
坂本竜馬・中岡慎太郎の大きな銅像を左手にみながら、山道を登っていくと、料亭左阿彌がある。
明治13年(1880)2月9日、襄はここで宮川経輝と宗教演説会を開いている。
この料亭は、幕末期、近藤勇のご贔屓で、しばしば訪れたという。
中には織田信長の甥、織田頼長の墓がある。》
とあります。
新撰組の局長である、近藤勇さんや、新島襄さんに愛された左阿彌。
京都の歴史と共に歩んできた左阿彌、これからも、皆様に愛される
料亭でありたいと思っております。
NHK大河『八重の桜』ホームページ

2012/12/23 21:32 】【 告知

左阿彌が建立された時代

料亭『左阿彌』が建立されたのは元和元年。西暦では1615年であり、主な出来事としては、1600年の徳川家康の覇権を決定付けた『関が原の戦い』、1603年の征夷大将軍の徳川家康による江戸幕府の創設、1611年後陽成天皇が譲位し、その後、第108代後水尾天皇となる。1615年『大阪夏の陣』
1600年の関が原の戦い、1615年の大阪夏の陣には、左阿彌に住まわれた織田頼長が、豊臣方に参戦されています。

京都の料亭として開業した時代

料亭『左阿彌』が建立されたのは元和元年。西暦では1615年であり、料亭として開業したのは、嘉永2年、西暦1849年となります。それまでは、安養寺の宿坊、円山の六坊の一つと数えられました。安養寺は平安時代、延暦年間(782-806)、都鎮めの寺として第50代・桓武天皇の勅命により、最澄(767-822)が創建されました。後、1177年に法然はこの地に庵を結び吉水草庵と呼ばれ、比叡山で修行を終え降りられた後、流罪に処せられるまで40年程の長い間、伝道に努められました。
またこの地で、親鸞が法然の教えを受けたと言われています。


嘉永2年(1849年) 左阿彌 料亭開業
嘉永6年(1853年) ペリー艦隊来航
安政4年(1857年) 江戸幕府の大老井伊直弼による安政の大獄が始まる
安政7年(1860年) 桜田門外の変
文久2年(1862年) 寺田屋騒動
文久3年(1863年) 新撰組結成


黒船来航出典 大阪書籍
元号 嘉永とは、1848年から1854年までの期間を指し、この時代の天皇は孝明天皇、江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定の時代です。

左阿彌建立の背景

現在の円山公園内になる1886年(明治19年)以前、円山に安養寺の塔頭の六阿弥坊があり「円山の六坊」と呼ばれていました。
多蔵庵春阿弥、延寿庵連阿弥、花洛庵重阿弥、多福庵也阿弥、長寿院左阿弥、勝興庵正阿弥の六坊があり、
塔頭は後に遊覧酒宴の宿となり、僧坊は貸し席、料亭に変わっていきました。

重阿弥では、赤穂浪士により、吉良上野介の首を討ち取ることが決定した円山会議が開かれています。

料亭 左阿彌では、明治維新以降の御前会議に使われたこともありました。
※御前会議とは、明治期から太平洋戦争終結時まで国家の緊急な重大事件に際し,天皇の出席のもとに行われた元老,主要閣僚,軍部首脳の合同会議をいい、重要な国策を決めた会議。

春阿弥は、1877年に温泉場となり、1906年に焼失しました。

吉水温泉吉水温泉

連阿弥、重阿弥は、也阿弥に合併され、也阿弥ホテルとなりました。しかし、1899年に焼失した。その後再築され、正阿弥を合併しましたが、1906年に再び焼失しました。
世阿弥ホテル世阿弥ホテル

世阿弥ホテルは京都で最初にホテルと称し明治12年(1879年)に開業し、ドアはなくカーテンで仕切っていて、明治16年の宿料、3円50銭、食事は朝食75銭、昼・夕食が1円だったそうです。

正阿弥は、1886年に洋風旅館となり、1911年に焼失しています。

左阿彌のみが、今に至るまで料亭として残っています。

出典http://everkyoto.web.fc2.com/report213.html

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