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美premium
美・premium NO5 〝「パリ」の老舗「京都」の老舗″ で、左阿彌を掲載していただきました。
記事では、左阿彌の歴史や、左阿彌で、舞妓さんの踊りや語らいを楽しみつつ味わう゛京料理と舞妓の夕べ″
のご紹介や、富岡鉄斎の席開きによる寛楽や、建仁寺の五温和尚と金閣寺の伊藤和尚合作のお茶室遍松庵のご紹介、
篠笛を吹いて、お客様をお迎えする女将のご紹介をしていただきました。
織田頼長
お墓の側面から撮った写真です。
お墓の形としては、五輪塔と呼ばれるお墓の形であり、平安時代後期より建立され、鎌倉時代に一般的になりました。
上の石から、空・風・火・水・地を表していて、
密教において、物質を構成する5つの要素です。
お墓のは高さ2.5m程あります。
又、そばには、
お付の人と思われるお墓があります。
左阿彌の敷地内にあり、織田頼長が亡くなられてからずっと、
左阿彌を見守っていただいておられると思っています。
『哲学の道』西田幾多郎
H25年1月20日 NHK Eテレ1 22時〜23時30分『日本人は何を考えて来たのか』で、戦争の時代、京都大学名誉教授 西田幾多郎さんはじめ、京都学派はどのように考えたのかを、生物学者、福岡伸一さんが、最新資料を基に解き明かされます。左阿彌が対談場所として出てきます。
日本を代表する哲学者、西田幾多郎さんが散策された琵琶湖疏水沿いの道は現在『哲学の道』と呼ばれています。
西田幾多郎さんが軍部の方と、何度か会合を開き、愛してくださった左阿彌も日本の歴史、京の歴史と共に歩んできたことがわかります。
新島八重を歩く
2013年NHK大河ドラマ『八重の桜』
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
同志社大学を創立された、新島襄さんの妻、八重さんの人生を綴った歴史書
『新島八重を歩く』星亮一戊辰戦争研究会編 潮書房光人社発行に
料亭左阿彌が登場いたします。
P173 《料亭左阿彌 八坂神社を東へ抜けると、円山公園に出る。円山音楽堂の南、
坂本竜馬・中岡慎太郎の大きな銅像を左手にみながら、山道を登っていくと、料亭左阿彌がある。
明治13年(1880)2月9日、襄はここで宮川経輝と宗教演説会を開いている。
この料亭は、幕末期、近藤勇のご贔屓で、しばしば訪れたという。
中には織田信長の甥、織田頼長の墓がある。》
とあります。
新撰組の局長である、近藤勇さんや、新島襄さんに愛された左阿彌。
京都の歴史と共に歩んできた左阿彌、これからも、皆様に愛される
料亭でありたいと思っております。
NHK大河『八重の桜』ホームページ
左阿彌が建立された時代
料亭『左阿彌』が建立されたのは元和元年。西暦では1615年であり、主な出来事としては、1600年の徳川家康の覇権を決定付けた『関が原の戦い』、1603年の征夷大将軍の徳川家康による江戸幕府の創設、1611年後陽成天皇が譲位し、その後、第108代後水尾天皇となる。1615年『大阪夏の陣』
1600年の関が原の戦い、1615年の大阪夏の陣には、左阿彌に住まわれた織田頼長が、豊臣方に参戦されています。
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