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様々な、情報を左阿彌より発信させていただきます。
よろしくお願い致します。

2015/06/09 15:26 】【 未分類

富岡鉄斎の書

富岡鉄斎(1836~1924)は、日本文人画最後の巨匠といわれる人です。
近代書道研究所の書道グラフに取り上げられている書に料亭 左阿彌が
書かれています。
富岡鉄斎さんが、左阿彌宛に書いていただいたお手紙が掲載されています。
鉄斎
鉄斎2
明治の中頃より大正初期にかけて、日本の画壇は西欧の影響を受け新しい運動を展開するが、その風潮の中にあって、鉄斎は文人画の伝統を護る稀少な存在として数多くの傑作を残されました。

2015/03/02 14:04 】【 歴史

富岡鉄斎の書2

鉄斎3
前回に引き続き、書道グラフに取り上げられた富岡鉄斎さんの書ですが
書道グラフの書評には、こう記されています。
『書を見るとその境地は、画と全く軌を一にするもので、魁異な書きぶりは見る人をして一驚させる。』
この書評の通り画も、書も、大胆に描かれていて又、その画と書のバランスにより画の躍動感が伝わります。

2014/09/15 15:47 】【 歴史

妹尾和夫のパラダイスkyoto忘年会

妹尾さん
昨年に引き続き、左阿彌で、KBSラジオ『妹尾和夫のパラダイスKYOTO』の忘年会を開催していただきます。
パーソナリティーの妹尾和夫さん、遠藤奈美アナウンサーさんと、ワンドリンク付き会席料理を
食事していただき、お楽しみ抽選会などのイベントもある、とても楽しい忘年会です。
参加費は、8500円(税・サ込み)です。
詳しくは、『妹尾和夫のパラダイスKYOTO』をお聞きくださりますようお願いいたします。
参加ご希望の方は、
・葉書 〒602-8588 KBS京都ラジオ『妹尾和夫のパラダイスKYOTO』または、
・メール para@kbs.ne.jpまでご応募ください。
締め切りは2013年12月8日(日曜日)必着です。
左阿彌に、お越しくださることをお待ちいたしております。
妹尾和夫のパラダイスKYOTO

2014/01/16 16:54 】【 告知

知恩院

知恩院は、料亭 左阿彌から200m程、徒歩2分程に位置します。
知恩院

知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が京都 東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に
営んだ草庵をその起源とします。
法然の住房は当時の地名を取って「吉水御坊」、「大谷禅坊」などと称されていました。
ここでの法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、浄土宗を開宗する
43歳から生涯を閉じた80歳までの長きにわたり、浄土宗の中心地となりました。
ここに法然の廟が造られ弟子が守っていましたが嘉禄3年(1227年)、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまいます。
文暦元年(1234年)、法然の弟子にあたる勢観房源智が再興し、
四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を、下賜されました。
その後も永享3年(1431年)の火災や応仁の乱などで焼失しますが、その都度再興されています。

現存の三門、本堂(御影堂)をはじめとする、壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからのことです。
浄土宗徒であった徳川家康は慶長13年(1608年)から知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行いました。
造営は2代将軍徳川秀忠に引き継がれ、現存の三門は元和7年(1621年)に建設されました。
寛永10年(1633年)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼しますが、
3代将軍、徳川家光のもとでただちに再建が進められ、寛永18年(1641年)までにほぼ完成しています。

徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることや
知恩院25世超誉存牛(ちょうよぞんぎゅう)が松平氏第5代長親の弟であること、
京都における徳川家の拠点とすること、徳川家の威勢を誇示し、朝廷を牽制することといった、
政治的な背景もあったと言われています。

江戸時代の代々の門主は皇族から任命されました、さらに、その皇子は徳川将軍家の猶子となりました。

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