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左阿彌建立の背景
現在の円山公園内になる1886年(明治19年)以前、円山に安養寺の塔頭の六阿弥坊があり「円山の六坊」と呼ばれていました。
多蔵庵春阿弥、延寿庵連阿弥、花洛庵重阿弥、多福庵也阿弥、長寿院左阿弥、勝興庵正阿弥の六坊があり、
塔頭は後に遊覧酒宴の宿となり、僧坊は貸し席、料亭に変わっていきました。
重阿弥では、赤穂浪士により、吉良上野介の首を討ち取ることが決定した円山会議が開かれています。
料亭 左阿彌では、明治維新以降の御前会議に使われたこともありました。
※御前会議とは、明治期から太平洋戦争終結時まで国家の緊急な重大事件に際し,天皇の出席のもとに行われた元老,主要閣僚,軍部首脳の合同会議をいい、重要な国策を決めた会議。
春阿弥は、1877年に温泉場となり、1906年に焼失しました。吉水温泉
連阿弥、重阿弥は、也阿弥に合併され、也阿弥ホテルとなりました。しかし、1899年に焼失した。その後再築され、正阿弥を合併しましたが、1906年に再び焼失しました。世阿弥ホテル
世阿弥ホテルは京都で最初にホテルと称し明治12年(1879年)に開業し、ドアはなくカーテンで仕切っていて、明治16年の宿料、3円50銭、食事は朝食75銭、昼・夕食が1円だったそうです。
正阿弥は、1886年に洋風旅館となり、1911年に焼失しています。
左阿彌のみが、今に至るまで料亭として残っています。
出典http://everkyoto.web.fc2.com/report213.html
【 2012/08/12 20:31 】【 左阿彌の歴史 】
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